第4回 ~SHINHWA~
K-POP界を牽引しているボーイズ・グループの変遷②

今回は、開かれたK-POPムーヴメントをテーマに、ボーイズ・グループの変遷➁をお送りします。

コラムの最後ではSHINHWAのサイン入りポスターを抽選で2名様にプレゼントします!最後までお楽しみください。


写真協力:Fm yokohama「Radio HITS Radio」


韓国のバックストリート・ボーイズ

2001年春、初の渡韓。
目的は、当時ほぼインフォメーションがなかったSHINHWAの取材でした。つまりグループの実態がわからないまま、ソウルを訪れたのです。すでに輸入盤扱いとして3枚の作品がリリースになってはいましたが、「TOP~Twinkle Of Paradise」のユニークさや、楽曲によってかなり濃いメイクで登場するパフォーマンスだけでは、一体どんなグループであるかもを想像するのは難しかったのです。

レーベルサイドからは、韓国のバックストリート・ボーイズと言われていて、私には洋楽目線で紹介して欲しいと使命を受けました。初対面では、アメリカのバックストリート・ボーイズと韓国のSHINHWA2組の共通点をすぐに見つけることはできませんでしたが、あらためて過去の「Never Can Rewind」を聴くと、目指す方向性が同じだったのだな~と思いました。彼らの日本デビューにより、その後、BIGBANGCNBLUEFTISLANDも、デビューしてからのインディー時代は、洋楽の方向性というのがひとつのプロモーション戦略となりました。

渡韓した時のSHINHWAは、4集にあたる「HEY, COME ON!」の活動中で、音楽面からいうと、彼らにとって大きな転機となり、SHINHWAのダンスポップ・サウンドを確立した作品でした。

SHINHWAは、H.O.Tが分裂し、新しい時代のボーイズ・グループ・ムーヴメントを担うグループとして、その役割を十分に果たしていました。同じ時期には、タイプは違いますがgodが登場し、ヴォーカル3名+バンドといった新しいスタイルのClick-Bなど、K-POPシーンは、新たな時代に突入したのです。

当時韓国は、大きなコンサートホールがないため、体育館を使いコンサートを行っていました。(今でも体育館は使われていますが・・・)また大掛かりなコンサートを実際にやるグループはなかなか現れず、音楽TV番組、音楽イベント、ファンミーティングでのパフォーマンスが主体となる状況。会場のシステム、莫大な機材の問題、コンサート・チケット代など、まだ韓国ではツアーの環境が整っていないなかで、SHINHWAは、大掛かりなセットを作り、コンセプチュアルなステージで、見せるエンタテインメント・ショウを作り上げていました。「The Everlasting Mythology」は圧巻のショウです。機会があったらぜひDVDで観てください。


先日VIXXの横浜アリーナのショウを見ましたが、オープニングなどはSHINHWAを思わせる構成でした。これはVIXXのマネージャーが、当時SHINHWAのマネージャーだったことから、SHINHWAが作り上げたものをVIXXに後継させたいという思いがあったようです。

2001年ソウルでの最初のインタビューでは、これは客観的ではないかもしれませんが、一瞬にしてSHINHWAが魅力的なグループであることを感じ、その後何度か韓国で取材を重ね、SHINHWAという韓国を代表するグループを日本に紹介してきました。ただ、彼らがこれほど長く活動していくグループになるとは当時誰も思わなかったはずです。韓国では、3~4年、長くて5~6年がグループの生命と言われていましたから。

ほぼノーメイクで撮影!「PERFECT」の写真

日本では、独自のアルバム「PERFECT」を制作し、プロモーションを正式にスタートさせました。日本のカメラマン畔柳ユキ氏の撮影のもとジャケット制作しましたが、当初はヘアーメイクからカメラマン、すべてが韓国スタッフによるものだったので、なかなか日本側のアイデアを理解してもらえず、ビートルズの「Meet The Beatles!」のようなジャケットにしたいという思いが韓国側に伝わらなかったということがありました。撮影中は、サングラスをなかなかはずさず、といった難題ばかりでしたが、(撮影だとは知らされず、ノーメイクで来たため)仕上がってみると、こういったジャケットは初めてだと全員が喜び、そこから日本市場に対する気持ちがオープンになったのではないかと思います。「PERFECT」の写真は、ほぼノーメイクの素顔の6人の力強い表情が気に入っています。

その後、「HEY, COME ON!」「Wedding」の日本語ヴァージョンもレコーディングし、「HEY, COME ON!」に至っては、Andyがオリジナルには参加していなかったので、Andyの英語Rapを入れた6人ヴァージョンを日本側のアイデアでレコーディング。Ericがスタジオで1時間みっちり一人の世界に浸り、英語のRapを考えたという経緯があります。そしてS.M.ENTERTAINMENTの取締役で、サウンドプロデューサーであるユ・ヨンジン氏のミックスのもと、日本語を完成させ楽曲は、「Best Of SHINHWA 2001-2003」に収録することができました。

6人がともにSHINHWAであり続けたいと願った…
実はSHINHWAもマネージメントとの問題から6人全員が、2003年S.M.ENTERTAINMENTを離れています。もちろんスムーズに事が進んだわけではなく、過去の作品が歌えなくなるかもしれない、グループ名を返上しなければならないかもしれない、という不安を抱えながら、より6人がクリエイティヴに生きていくために大きな決心をしたのです。H.O.Tや東方神起と異なる点は、6人がともにSHINHWAであり続けたいという思いだったということです。

日本ではようやくSHINHWAの存在が音楽シーンに認められ始め、(といってもK-POPムーヴメントにまでは至っていませんが…)新しい可能性を誰もが感じていた時だったので、これで終わってしまうのは惜しいという気持ちがあり、日本側スタッフとともに韓国へ行き、コンサート後にEricと話し、何はともあれアルバムのプロモーションのために来日して欲しいと直談判しました。

翌日メンバーを交えたミーティングでは、これまで事務所に支えられていた6人が、6人でやらなくてはいけないのだ、という問題点が明らかになり、衣装、メイク、チョンジンを朝起こす人(ドンワンがかなり気にしていた)、すべてが自分たちで考えなくてはけなくなったことに不安を覚えていました。衣装は自前、メイクは3人連れてきてOKと安心させ、それでも彼らは不安な気持ちのまま来日しました。

数年前に除隊したばかりのドンワンと会ったとき、あの時のことが今でも懐かしく思い出されるとのこと。それだけ彼らにとっては冒険だった来日だったのでしょう。

その後SHINHWAは、日本でもK-POPシーンの中核となり、ソロとしてもそれぞれのキャリアを伸ばし、兵役も終え、今も6人で、自分たちの会社を設立し活動しています。最近のニュースでは、SHINHWAの商標を正式に譲渡されることになり、一時期Shincomエンタテイメントと仮名していたものを、以前のシンファ・カンパニーとして登録し、商標権を手に入れたとのこと。多くのスタッフに恵まれたということもあるが、彼ら自身のさまざま経験によって、6人がベストな状態で音楽を続けられるうえでのビジネスを学んでいったということなのでしょう。


次回は、現在活躍するボーイズ・グループにスポットをあてます。

<関連楽曲>
SHINHWA    BIGBANG
CNBLUE    FTISLAND
god    VIXX


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